2010年3月27日土曜日
■ イッセイ オガタとファッションアート
今でこそ、ジーンズの破りれも脱色もファッションとなったが、1990年代ごろは、ブランド品を
身につけることがステータスとなっていたため、ジーンズがファッションの主流とはいえない時代だった。そんな時代、イッセイオガタのドローイングの勢いは、キャンバスをはみだし、身近な洋服や
シャツに及び、シャツやコートをアクリルペイントで描き、破った。しかも、それを平気で着て
歩き回ったものだから、電車などに乗り込むと、一瞬車内の視線がオガタに集中し、驚いて避けて通る人もいた。まさに、ゴーイングマイウェイで進んでいた。
その頃、ギャルリーヴィヴァンは日本でも盛んになってきた国際アートフェアのひとつNICAFにも参加するようになり、1994年に横浜で開催された第3回国際コンテンポラリーアートフェアーで、
フランスと日本の作家を紹介し、イッセイオガタのコートに着彩した作品をポスターにした。
会場では、希望者の服に直接ペイントしたりして喜ばれた。
ますますエスカレートしたファッションアートは、渋谷のロゴスギャラリーをはじめ、表参道の同潤会アパート1階にあったギャラリー華音留、1997年国際展示場で開催されたNICAFで強烈なインパクトを与えた。
ジーンズと迷彩服は、以後イッセイオガタのユニフォームとなった。
マダム