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Galerie vivant アートブログ~空のように自由に~

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2010年3月23日火曜日

■ イッセイ オガタとドローイング

もうすぐ展覧会が終了というのに、オガタの本領といえるドローイングになかなか進まない。今日は
オガタのターニングポイントとなったドローイングのことを書こうと思う。
                                                                    10年あまりをモノクロの世界に費やしたが、ストイックな版画の表現が必ずしも自分の求めている表現とは思っていなかったみたいで、色々なエスキスをはじめた。
「オレは、都会の喧騒が好きだ」と言いながら、都心にでることは少なく、へら釣りに相変わらず
夢中になっていた。それでも、子どもたちが次第にオガタの手を離れ、新しいアトリエに越すと
一気に強烈な色彩が現れはじめた。いままで、黒のなかにあらゆる感性、情念を込めてたのが、
黒いチョーク、筆で荒々しく書きなぐる野性的な表現へと変わっていった。ドローイングの直接
一気に描きあげるスピード感は、ストイックな版画表現から開放された喜びに溢れ、以後
やむことのないオガタの表現となった。

1985年にギャルリーヴィヴァンは、ニューヨークアートエキスポにオガタの作品をはじめ、日本人アーチストの作品を出品した。その後1987年まで3回連続出展した。                  前年の1984年にスイス、バーゼルのアートフェアが初めての海外での日本人作家紹介であった。
日本人作家の版画とポスターを展示したが、日本人作家の版画は、近くでみるとその精緻な仕上がりにおどろくが広い会場でのインパクトは弱かった。
そのため、ニューヨークではドローイングを紹介しようということになり、ポスターにもオガタの作品を
使った。広いコンベンションセンター内が、人で埋まり、活気ある展覧会場だった。

この頃、オガタが関心をもっていたのはバイクと女。よくモデルは誰ですか。と聞かれるが、モデルを描くことはなく、モデルをつくりあげるのが作家の仕事なのだと思う。バイクと女性の形態感が
オガタの表現に向いていたのかもしれない。最初は、硬かった表現が、次第に柔軟な表現に
なっていったのは、筆を自由に使いこなせるようになったからと思える。

1985年に第5回ハラアニュアルに招待されたのは、オガタにとっての重要なターニングポイントと
なった。その頃、あまりドローイングを表現として取り入れている作家はいなかったと思われる。
後年、当時副館長をしていた金澤毅さんが、ハラアニュアルは、ヤングアーチストを紹介する展覧会だが、50歳をこえたアーチストが選考されたのは、後にも先にもオガタさんだけです。と語った。確かに、オガタの作品を見たひとは、若い作家と思う方が多い。その画面から噴出すエネルギーは年齢ではない、作家の資質と内面の情念の力そのものと思われる。ドローイングの中心となる
線の力こそ作家の力量を測れるものにおもわれる。