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Galerie vivant アートブログ~空のように自由に~

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2010年3月9日火曜日

■ イッセイ オガタの黒

1967年頃、イッセイ オガタは当時、国際的な版画登竜門として世界的に有名だったリュブリアナ版画ビエンナーレで近代美術館賞を受賞した後、2年ほど日本に戻っていたが、パリに戻り再び銅版画を制作しようとしていた。その頃、私もウイリアム ヘイターの銅版画工房:アトリエ17で銅版画をはじめたばかりであったが、オガタも最初のフリードランデルのアトリエから、ヘイターのアトリエに移ってきた。それ以来、オガタが作家になっていく過程につきあうことになった。
結構せっかちに動き回る私と対照的に、パリの異邦人として100年1日のごとくゆったり暮らすことが身についてしまったオガタは、終生そのリズムを変えることなく、我関せずと、自由人としての生き方を貫いた。
その画家としての人生で、究極の色が「黒」であった。最初は、ドイツ人の版画家でパリで伝統的な版画技法のアトリエを構えていたフリードランデルのアトリエで制作していた。その頃の作品は現在殆ど残っていない。ここに紹介する作品は、ごく初期の作品で「パリ青年ビエンナーレ」に出品した作品です。晩年の作品からは、想像もできないシンプルな作品。でも
生まれたばかりの幼子のように、あどけなく(こんな表現はオガタをして赤面させるかも)
ユーモアさえ漂い、これからなにかが開花する予感を感じさせる作品です。
オガタが、版画を始めることになったきっかけは、当時パリのモンマルトルの丘で観光客あいてに似顔絵を描いていたところに、たまたま浜田知明先生がとうりかかり、同じ熊本県出身、大学も後輩ということで、親しくさせていただき、その頃先生が通っていたフリードランデルのアトリエに遊びにいくうち、版画をみずから制作するようになったようです。



画家なので、当然「色」「形」が話題になることは多かった。色のなかでは、いつも「黒」色が話題になった。銅版画は日本に戻ってからも続き、80年代のドローイング制作までオガタの作品の基調となった。最初の頃の黒も、次第に黒味を増し、その表情も、味わいも実に
奥深い美しいものになっていった。オガタの黒は、荒削り、オガタ流にいえば「野生の黒」
決して冷たい黒ではなく、情愛に満ちた色であった。

マダム