昨日、一生懸命同じタイトルでブログを書いて完成とおもって、どこかをクリックしたとたん全部
消えてしまった。もう7時すぎで、頼みのタッチャンはホームページ作成でパソコン画面に張り付いているため、あきらめてかえってしまった。
事務所にある5台のパソコンで一番の古顔が、私がつかっているもの。何かがあるたびに、
もう寿命ですよとみんな素っ気ない。毎日、今日一日無事でありますようにと願っている。
ミュシャは、パリにでて苦学していた頃から、生活のためにいろいろな挿画本を手掛けた。
1894年から1929年の間に、木版、リトグラフなどで9冊の挿画本を手掛けた。その中でも
とくに有名な作品に、1897年制作の「エルゼ:トリポリの姫君」がある。
今回は、その挿画本も展示している。225部限定の内、35部は特別の和紙に刷ってあり、
180部は普通のヴェラン紙に刷ってある。この本は、35部のうちの32番。しかも、コレクター用に
特別の皮装丁をしたもので、3方金も実にフレッシュに残っており、中のカラーも鮮やかに完璧な
状態のものである。最近では、この普通版を解体して、1点づつ額装して販売しているが。
このような完璧な姿を末永く受け継いでくださる方はいないものだろうか。
2010年4月6日火曜日
■ ミュシャ写真展-アールヌーボー
久々に投稿します^^
最近マダムのパソコンの調子が非常に悪くブログ更新難航中です。
マダムの機嫌も悪くなります@_@
マダムにブログレクチャーをするのも僕の仕事ですが・・・すいません、他の事で手が回りません・・・
わたくし事ですが、個展の準備も終わり(ここでも宣伝したいのですがグッとこらえ・・・)一段落と行きたいのですがヴィヴァンホームページの作業が残っており今日も帰りが12時頃でした。
帰りは12時なのですが、ヴィヴァンを出たのは10時・・・・帰宅するだけに2時間は掛かりません。
・・・どこに行ってたかというと・・・・銭湯です。^^!帰りが遅くなる日は銀座でひと風呂して帰るのが僕の日課です^^家に帰るとお風呂はありませんから!!^^;;
予断が長くなりましたが、今ヴィヴァンで開催中のアールヌーボーの巨匠ミュシャ。とてもいい感じです。
アールヌーボーとは19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで起こったムーブメントですが、わたくし、タっちゃんはこのアールヌーボの作品が大好きです。
ちなみにマダムはアールデコ派ですよね?
僕がベルリンにいたころ週に一度タダになる日を見計らっては何度となくベルリン市内にあるアールヌーボ美術館に一人足を運んでは「たまらんなぁ~」っと呟いていたのでした。
あのなんともいえない。。ともするとヤリすぎな曲線美。。
ガラスなどの工芸で特に名を知られているアールヌーボですが、僕は家具や建築のその美意識に惹かれます。
今日はその作品を紹介して寝ますー
タっちゃん
ルイ・マジョレル:蘭
最近マダムのパソコンの調子が非常に悪くブログ更新難航中です。
マダムの機嫌も悪くなります@_@
マダムにブログレクチャーをするのも僕の仕事ですが・・・すいません、他の事で手が回りません・・・
わたくし事ですが、個展の準備も終わり(ここでも宣伝したいのですがグッとこらえ・・・)一段落と行きたいのですがヴィヴァンホームページの作業が残っており今日も帰りが12時頃でした。
帰りは12時なのですが、ヴィヴァンを出たのは10時・・・・帰宅するだけに2時間は掛かりません。
・・・どこに行ってたかというと・・・・銭湯です。^^!帰りが遅くなる日は銀座でひと風呂して帰るのが僕の日課です^^家に帰るとお風呂はありませんから!!^^;;
予断が長くなりましたが、今ヴィヴァンで開催中のアールヌーボーの巨匠ミュシャ。とてもいい感じです。
アールヌーボーとは19世紀末から20世紀初頭にヨーロッパで起こったムーブメントですが、わたくし、タっちゃんはこのアールヌーボの作品が大好きです。
ちなみにマダムはアールデコ派ですよね?
僕がベルリンにいたころ週に一度タダになる日を見計らっては何度となくベルリン市内にあるアールヌーボ美術館に一人足を運んでは「たまらんなぁ~」っと呟いていたのでした。
あのなんともいえない。。ともするとヤリすぎな曲線美。。
ガラスなどの工芸で特に名を知られているアールヌーボですが、僕は家具や建築のその美意識に惹かれます。
今日はその作品を紹介して寝ますー
タっちゃん
エミール ガレ:アフリカ
2010年4月3日土曜日
■ ミュシャ展の準備
来週からミュシャ展がはじまるので、今日は額装と展示に追われています。
時間があれば、国際フォーラムで開催中の東京アートフェアーにもいきたくて、時計とにらめっこ。
やはり、今日は準備で終わりそう。
ミュシャは、ポスターや挿画本を数多く制作しているが、そのための下絵がわりに、モデルを
使っている様子がこの古い写真から見える。その写真の中に、「Documents Decoratives」
のための習作用モデルというタイトルの写真がある。 Documents Decoratives(装飾資料集)
という本は、本としてはかなり大きく、72点のデザイン画が入っていた。花、壁紙、壁画、ステンドグラス等のための習作でもあり、ミュシャのデザイナーとしてのセンスも伺える内容だ。今回は、残念ながらこの本の表紙のみの展示となる。これらの、本は、中の作品が一点ずつ額装され販売されてしまうため、完本の姿でみることは少ない。
たまたま、今回展示の写真がこの装飾画集と関連しているため、展示することにした。
マダム
時間があれば、国際フォーラムで開催中の東京アートフェアーにもいきたくて、時計とにらめっこ。
やはり、今日は準備で終わりそう。
ミュシャは、ポスターや挿画本を数多く制作しているが、そのための下絵がわりに、モデルを
使っている様子がこの古い写真から見える。その写真の中に、「Documents Decoratives」
のための習作用モデルというタイトルの写真がある。 Documents Decoratives(装飾資料集)
という本は、本としてはかなり大きく、72点のデザイン画が入っていた。花、壁紙、壁画、ステンドグラス等のための習作でもあり、ミュシャのデザイナーとしてのセンスも伺える内容だ。今回は、残念ながらこの本の表紙のみの展示となる。これらの、本は、中の作品が一点ずつ額装され販売されてしまうため、完本の姿でみることは少ない。
たまたま、今回展示の写真がこの装飾画集と関連しているため、展示することにした。
マダム
2010年3月31日水曜日
■ミュシャ写真展が始まります!
早いもので、この銀座3丁目に越してもう1年半がすぎた。引越しの際、倉庫に長年眠っていた
ミュシャの写真集を見つけ出し、いつか紹介しようと思っていた。
いよいよ4月5日から開催の予定で準備を進めています。
写真は、1895年から1919年の間に、ミュシャが撮影した風景、モデル、友人などの写真10枚です。数は少なくても、ミュシャの写真は、あまり紹介されていないので非常に貴重な時代のドキュメントになるでしょう。
マダム
ミュシャの写真集を見つけ出し、いつか紹介しようと思っていた。
いよいよ4月5日から開催の予定で準備を進めています。
写真は、1895年から1919年の間に、ミュシャが撮影した風景、モデル、友人などの写真10枚です。数は少なくても、ミュシャの写真は、あまり紹介されていないので非常に貴重な時代のドキュメントになるでしょう。
マダム
2010年3月27日土曜日
■ イッセイ オガタとファッションアート
今でこそ、ジーンズの破りれも脱色もファッションとなったが、1990年代ごろは、ブランド品を
身につけることがステータスとなっていたため、ジーンズがファッションの主流とはいえない時代だった。そんな時代、イッセイオガタのドローイングの勢いは、キャンバスをはみだし、身近な洋服や
シャツに及び、シャツやコートをアクリルペイントで描き、破った。しかも、それを平気で着て
歩き回ったものだから、電車などに乗り込むと、一瞬車内の視線がオガタに集中し、驚いて避けて通る人もいた。まさに、ゴーイングマイウェイで進んでいた。
その頃、ギャルリーヴィヴァンは日本でも盛んになってきた国際アートフェアのひとつNICAFにも参加するようになり、1994年に横浜で開催された第3回国際コンテンポラリーアートフェアーで、
フランスと日本の作家を紹介し、イッセイオガタのコートに着彩した作品をポスターにした。
会場では、希望者の服に直接ペイントしたりして喜ばれた。
ますますエスカレートしたファッションアートは、渋谷のロゴスギャラリーをはじめ、表参道の同潤会アパート1階にあったギャラリー華音留、1997年国際展示場で開催されたNICAFで強烈なインパクトを与えた。
ジーンズと迷彩服は、以後イッセイオガタのユニフォームとなった。
マダム
2010年3月24日水曜日
■ イッセイオガタのバイクと女





一時、機械の部品とかパイプに凝った時期があり、近所の廃品回収所に通っては、いろいろなものを
探してきたり、友人から壊れたバイクを譲ってもらい、飾りものにしたり、アトリエには古い金属の端材などが積み込まれた。
絵の中でも、バイクが重要なファクターになっていった。1990年にフクダモーター主催の展覧会「ISSEI OGATA DYNAMIC ZONE]が開催された。やけに広い場所で、倉庫かなにかの建物だった記憶がある。ギャラリーでは、展示できない大作や数を思いっきり展示でき、80年代半ばより加速した
ドローイングへの情熱が一気に開花した様が、会場一杯にひろがり、迫力ある展示となった。
言葉より、イメージで伝えたほうがわかりやすいので、今回は会場写真を一杯のせます。
マダム
2010年3月23日火曜日
■ イッセイ オガタとドローイング
もうすぐ展覧会が終了というのに、オガタの本領といえるドローイングになかなか進まない。今日は
オガタのターニングポイントとなったドローイングのことを書こうと思う。
10年あまりをモノクロの世界に費やしたが、ストイックな版画の表現が必ずしも自分の求めている表現とは思っていなかったみたいで、色々なエスキスをはじめた。
「オレは、都会の喧騒が好きだ」と言いながら、都心にでることは少なく、へら釣りに相変わらず
夢中になっていた。それでも、子どもたちが次第にオガタの手を離れ、新しいアトリエに越すと
一気に強烈な色彩が現れはじめた。いままで、黒のなかにあらゆる感性、情念を込めてたのが、
黒いチョーク、筆で荒々しく書きなぐる野性的な表現へと変わっていった。ドローイングの直接
一気に描きあげるスピード感は、ストイックな版画表現から開放された喜びに溢れ、以後
やむことのないオガタの表現となった。
1985年にギャルリーヴィヴァンは、ニューヨークアートエキスポにオガタの作品をはじめ、日本人アーチストの作品を出品した。その後1987年まで3回連続出展した。 前年の1984年にスイス、バーゼルのアートフェアが初めての海外での日本人作家紹介であった。
日本人作家の版画とポスターを展示したが、日本人作家の版画は、近くでみるとその精緻な仕上がりにおどろくが広い会場でのインパクトは弱かった。
そのため、ニューヨークではドローイングを紹介しようということになり、ポスターにもオガタの作品を
使った。広いコンベンションセンター内が、人で埋まり、活気ある展覧会場だった。
この頃、オガタが関心をもっていたのはバイクと女。よくモデルは誰ですか。と聞かれるが、モデルを描くことはなく、モデルをつくりあげるのが作家の仕事なのだと思う。バイクと女性の形態感が
オガタの表現に向いていたのかもしれない。最初は、硬かった表現が、次第に柔軟な表現に
なっていったのは、筆を自由に使いこなせるようになったからと思える。
1985年に第5回ハラアニュアルに招待されたのは、オガタにとっての重要なターニングポイントと
なった。その頃、あまりドローイングを表現として取り入れている作家はいなかったと思われる。
後年、当時副館長をしていた金澤毅さんが、ハラアニュアルは、ヤングアーチストを紹介する展覧会だが、50歳をこえたアーチストが選考されたのは、後にも先にもオガタさんだけです。と語った。確かに、オガタの作品を見たひとは、若い作家と思う方が多い。その画面から噴出すエネルギーは年齢ではない、作家の資質と内面の情念の力そのものと思われる。ドローイングの中心となる
線の力こそ作家の力量を測れるものにおもわれる。
オガタのターニングポイントとなったドローイングのことを書こうと思う。
10年あまりをモノクロの世界に費やしたが、ストイックな版画の表現が必ずしも自分の求めている表現とは思っていなかったみたいで、色々なエスキスをはじめた。
「オレは、都会の喧騒が好きだ」と言いながら、都心にでることは少なく、へら釣りに相変わらず
夢中になっていた。それでも、子どもたちが次第にオガタの手を離れ、新しいアトリエに越すと
一気に強烈な色彩が現れはじめた。いままで、黒のなかにあらゆる感性、情念を込めてたのが、
黒いチョーク、筆で荒々しく書きなぐる野性的な表現へと変わっていった。ドローイングの直接
一気に描きあげるスピード感は、ストイックな版画表現から開放された喜びに溢れ、以後
やむことのないオガタの表現となった。
1985年にギャルリーヴィヴァンは、ニューヨークアートエキスポにオガタの作品をはじめ、日本人アーチストの作品を出品した。その後1987年まで3回連続出展した。 前年の1984年にスイス、バーゼルのアートフェアが初めての海外での日本人作家紹介であった。
日本人作家の版画とポスターを展示したが、日本人作家の版画は、近くでみるとその精緻な仕上がりにおどろくが広い会場でのインパクトは弱かった。
そのため、ニューヨークではドローイングを紹介しようということになり、ポスターにもオガタの作品を
使った。広いコンベンションセンター内が、人で埋まり、活気ある展覧会場だった。
この頃、オガタが関心をもっていたのはバイクと女。よくモデルは誰ですか。と聞かれるが、モデルを描くことはなく、モデルをつくりあげるのが作家の仕事なのだと思う。バイクと女性の形態感が
オガタの表現に向いていたのかもしれない。最初は、硬かった表現が、次第に柔軟な表現に
なっていったのは、筆を自由に使いこなせるようになったからと思える。
1985年に第5回ハラアニュアルに招待されたのは、オガタにとっての重要なターニングポイントと
なった。その頃、あまりドローイングを表現として取り入れている作家はいなかったと思われる。
後年、当時副館長をしていた金澤毅さんが、ハラアニュアルは、ヤングアーチストを紹介する展覧会だが、50歳をこえたアーチストが選考されたのは、後にも先にもオガタさんだけです。と語った。確かに、オガタの作品を見たひとは、若い作家と思う方が多い。その画面から噴出すエネルギーは年齢ではない、作家の資質と内面の情念の力そのものと思われる。ドローイングの中心となる
線の力こそ作家の力量を測れるものにおもわれる。
登録:
投稿 (Atom)




