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Galerie vivant アートブログ~空のように自由に~

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2010年3月13日土曜日

■ エールフランスのポスター2













パリにワインとチーズをお召しに行きたくなります。

しかし先日パリから帰ってきたマダムのお土産のチーズがまだ冷蔵庫の中にありますが、横を通るだけでチーズ臭くって、、、。
はっきり言って臭い足の臭いです・・・。


これをマダムは町田から銀座まで持って来たとは・・・@_@

「電車乗り換えるたんびに、乗客が鼻をくんくんして見る見る表情変えるのが分かったわよ。ホホホ。」

byマダム

恐るべしマダムの大きな肝っ玉^^;

たっちゃん

2010年3月12日金曜日

■ 下町のナポレオンの故郷

私、タっちゃんは今ホームページのリニューアルに向けて体が3つ欲しい程忙しい状態ですが・・・・
なのですが今下町のナポレオンの故郷に帰って来ています。^^;


下町のナポレオン・・・そう”いいちこ”  そう、三和酒類 そう、 大分、ですー


せっかく大分にいるのだから大分発信のポスターを取り上げたいと思います。


そう”いいちこのポスター”です。


ひいきしている訳ではありませんが、今、日本で見る広告、ポスター、テレビ宣伝でこの”いいちこ”の視点、、デザインのレベルは目を見張るものがあります。


今日はいくつか”いいちこ”の広告をご紹介しましょう^^!







もうすでにお馴染みの広告ですが改めてどうでしょう・・・


非常に美しい広告ではないですか。。。


当時無名だった”いいちこ”をここまで大きく有名にしたのはその品質もさることながら、この広告、宣伝の効果もあるといえましょう。何人かのデザイナーの方がそれを手がけていますが、核になったのは、河北秀也。


『〈河北秀也〉1947年福岡県生まれ。東京藝術大学卒業。東京藝術大学美術学部デザイン科教授。アートディレクター。地下鉄マナーポスターシリーズデザインなどを手がけた。』
※スパイシーより


たっちゃん

■ ポスターの保管場所

美術品を製作する人にとって、作品の保管場所というのは非常に頭を悩ませるとこです。



売れっ子になって美術館やギャラリーに買い取ってもらったり作品保管部屋を持てる経済力があれば言うことなしなんです。うん。



しかしそのギャラリーでもまた作品をどこに保管するか?っと同じく頭を悩ませてるわけで、あれこれ試行錯誤してるんです。



我がギャルリーヴィヴァンも、月島と町田に専用倉庫を所持しています。



銀座のオフィス&画廊にも専用保管什器に所狭しとポスターや版画達がいますが、今回はその什器をご紹介しましょうー








ギャラリーにはこんな風に保管されています。








この什器はヴィヴァンには二台あってそれでも入りきれないものは町田や、月島の倉庫にあります。



しかしその二つの倉庫ももう身動きがやっと取れるぐらいに作品たちがひしめき合っていて入室するときは軽く気合を入れなければなりません^^;せいっ!



僕もまだまだ見てない作品がたんまりあるので楽しみではありますが作品達が痛まない気遣いも

必要なんですー
町田の作品倉庫はそのうちここでも紹介しますー





たっちゃん









2010年3月11日木曜日

■ パリの版画工房と作家たち

パリの版画工房といえば、なにかかっこいい場所に聞こえるが、1960年代中頃の版画工房は、
非近代的な、職人さんの作業所ともいえる雰囲気が漂っていた。
当時、日本からもいろいろな作家が、パリを目指し苦労しながらがんばっていた。作家が制作できる版画工房は少なく、伝統的なエッチング技法を学んだり、制作できる工房として有名だったのが、
ドイツ出身の版画家ジョニー フリードランデルの工房と新しい技法を開発したイギリス出身の版画家ウイリアム ヘイターのアトリエ17(フランス語でディセット)だった。一度だけ、フリードランデルの
アトリエを訪ねたことがあるが、薄暗い部屋の中に硝酸とインクの匂いが立ち込め、閉鎖的なイメージに驚いた。ただ、このアトリエで制作していた多くの作家は、その後ヨーロッパはじめ日本でも活躍している。日本の版画史にも残る作家として筆頭にあげられる浜田知明先生をはじめ、夭折した荒木哲夫。彼とは日本に戻ってから親交がはじまり何度か彼の個展を開催した。ドイツ人のウォルフガン ゲフゲンもフリードランデルのアトリエでオガタと一緒だったことを知ったが、最初は東京版画ビエンナーレで受賞した作品に感銘し、パリに会いに行きオガタを覚えていてその奇遇に驚いた。彼のメゾチントの作品は、物質を超えた精神性の極みを表現しているものとして、当時日本の作家たちにも多大な影響を与えた。その他、スイスの女流版画家で日本にも多くのファンをもつ
アンナピア アントニーニも同じアトリエだった。フリードランデルのアトリエはその後80年代に閉鎖されたと聞いている。
一方、私が通っていたヘイターのアトリエは、木造の一軒家でリュー ダゲールにあった。一軒家と
いっても、くづれんばかりのという形容詞が必要なくらいの建物ではあったが、天井が高く、開放的
だったのは、ヘイターの気質も影響していたのかも知れない。イギリス人としては小柄であったが、
ブルーの瞳は鋭く、講義は熱気がこもり、女生徒のお尻をそっとなでながらの講義もあり、すべて
新鮮だった。アメリカ、ドイツ、ベルギー、フランス、日本、マレーシアなどいろんな国から生徒が集まっていた。ヘイター式という銅版画の技法は、通常色版を何枚か重ねて刷る代わりに、1版のみで、ローラーを変えながら色を重ねて印刷できる1版多色刷りといわれる技法。最初に、この技法の理論と版の制作方法を学ぶと、あとは自由に制作できたため、各自さまざまな表現を追及して
毎日が充実していた。


マダム

2010年3月10日水曜日

■ エールフランスのポスター

ポスターを整理してると驚く=感動の連続です。
なぜ今こんないい広告(ポスター)がないのか、っと思うと同時にこの時代だから合って良しとされた広告だとも思います。

広告=ビジネス、 当たり前の構図ですが、この時代は媒体そのものが限られていたということもあるけど広告での表現も生き生きしたものが多いな。。。

なんて思ったのがこのポスターを見たとき、





エ-ルフランス(AIR FRANCE)のポスターに描かれているイメージの作家はフランス出身のアーティスト、ジョルジュ・マチュー (Georges Mathieu )。

当時アクションペインターとして注目され売れっ子アーティストでした。



たっちゃん

2010年3月9日火曜日

■ イッセイ オガタの黒

1967年頃、イッセイ オガタは当時、国際的な版画登竜門として世界的に有名だったリュブリアナ版画ビエンナーレで近代美術館賞を受賞した後、2年ほど日本に戻っていたが、パリに戻り再び銅版画を制作しようとしていた。その頃、私もウイリアム ヘイターの銅版画工房:アトリエ17で銅版画をはじめたばかりであったが、オガタも最初のフリードランデルのアトリエから、ヘイターのアトリエに移ってきた。それ以来、オガタが作家になっていく過程につきあうことになった。
結構せっかちに動き回る私と対照的に、パリの異邦人として100年1日のごとくゆったり暮らすことが身についてしまったオガタは、終生そのリズムを変えることなく、我関せずと、自由人としての生き方を貫いた。
その画家としての人生で、究極の色が「黒」であった。最初は、ドイツ人の版画家でパリで伝統的な版画技法のアトリエを構えていたフリードランデルのアトリエで制作していた。その頃の作品は現在殆ど残っていない。ここに紹介する作品は、ごく初期の作品で「パリ青年ビエンナーレ」に出品した作品です。晩年の作品からは、想像もできないシンプルな作品。でも
生まれたばかりの幼子のように、あどけなく(こんな表現はオガタをして赤面させるかも)
ユーモアさえ漂い、これからなにかが開花する予感を感じさせる作品です。
オガタが、版画を始めることになったきっかけは、当時パリのモンマルトルの丘で観光客あいてに似顔絵を描いていたところに、たまたま浜田知明先生がとうりかかり、同じ熊本県出身、大学も後輩ということで、親しくさせていただき、その頃先生が通っていたフリードランデルのアトリエに遊びにいくうち、版画をみずから制作するようになったようです。



画家なので、当然「色」「形」が話題になることは多かった。色のなかでは、いつも「黒」色が話題になった。銅版画は日本に戻ってからも続き、80年代のドローイング制作までオガタの作品の基調となった。最初の頃の黒も、次第に黒味を増し、その表情も、味わいも実に
奥深い美しいものになっていった。オガタの黒は、荒削り、オガタ流にいえば「野生の黒」
決して冷たい黒ではなく、情愛に満ちた色であった。

マダム

■ ぷっ、だけど、かなり関心

昨日は忙しい中マダムが初投稿して下さってうれしいタっちゃんです。緒方一成展。小規模でありながら見ごたえのある展覧会になっています。

さて今日は・・・・





これが出てきた時、なんか笑っちゃいましたけど、非常に優れたデザインだと思うんです。

これ、今駅のホームや電車の中刷りにあったら相当目立ちます。

デザインは昭和50年代のもので印刷技法はシルクスクリーン。
作家は、これまた大御所、大橋正さんです。

たっちゃん