つれづれなるままに
しばらくブログとご無沙汰していましたが、久々に高橋義治さんの版画展をすることになり、いろいろ準備をしているうちに、世のなかのいろんなご縁の不思議さについてあらためて考えさせられブログを書いてみる気になりました。
高橋さんの作品は、1985年に出版された五木寛之の「風の王国」の表紙になっていますので、記憶されている方もいらっしゃることでしょうが、なんせもう29年も前のことになります。先日、奥様から高橋さんの作品が選ばれたのは、たまたま飛行機の中で五木寛之氏と同席したご縁からと伺いました。
そういえば、私もそれよりずっと以前に、船の中で五木寛之ご夫妻と同席したことがあったため、いろんなことが思い出されました。
眠っていた記憶が、一挙に目覚めた感じです。
横浜とナホトカを繋ぐ航路で有名だったハバロフスク号は、当時といっても半世紀ほど前になりますが、日本からヨーロッパにいくシベリア鉄道経由の最初のステップでした。船の食事は、テーブルが決められており、同じグループが同席することになっていました。そこで同席したのが、まさに五木ご夫妻。
私は、パリ留学に行く途中であり、とてもお話上手な奥様の印象が鮮やかで、ご一緒の
五木氏は殆どしゃべらずなんと寡黙な方という印象だけが残りました。その時は、まだ
直木賞受賞前でどういう方かということは、船中2泊の会話では推測できませんでした。
その後、何年かして母がパリに送ってきた日本の雑誌に大きく直木賞受賞作家として載っていたのが、あの寡黙で大変繊細なイメージの五木氏で驚きました。その寡黙なイメージが突如崩れたのは、後年読んだ五木氏の小説のなかにでてくる、ヨーロッパ留学の女学生云々というかなり冷めた表現で、あの寡黙さは実は観察するためのものだったのかと気がついた次第です。
1980年に高橋さんの最初の個展をヴィヴァンで開催しましたが、その時高橋さんはすでにドイツで活躍しており、日本ではあまり紹介されていない銅板3枚を駆使した色彩版画は、日本でも好評のスタートをきりました。彩度を抑えた渋い色調に様々な記憶と印象が交差する幽玄の世界は、後年五木氏が「風の王国」の表紙に選んだのも、あの寡黙な
観察眼と繊細さに共通するものを感じたのかもしれないという思いがします。