11月19日の朝日新聞文化欄に、大きくオーストラリア駐日大使による漱石と横尾忠則による高倉健さんへの追悼記事が掲載されていた。記事をゆっくり読もうと思いながら切り抜いたまま、なかば茫然状態でテレビのチャンネルをいろいろ変えながら健さんの追悼番組に見入ってしまった。ふと、我にかえると健さんが亡くなってもう1週間がたっていた。
先週まで、漱石の遺墨木版画展を開催しており、その中の1点がずっと気になっていいて、
その作品のことを書こうと思っていた矢先、健さんの訃報に動転していた。たまたま、今週はコレクションのポスターを展示する予定で準備していた中に、横尾忠則のポスターが
あった。しかも、健さんのポスターが。。。。
漱石の水墨画は、明治時代の伝統的な手法を生かしたものが多い。その中で1点「梧桐」という作品がある。画面の中心に凛として仁王立ちのように立つ梧桐は、明確に左右にさわやかな、力強い空間をつくっている。当時としては、非常に斬新な手法による空間の演出に思え、この作品からは、明治という時代感がまったくないことが不思議だった。
現代においてもおかしくない、見事な空間意識に惹かれていた。漱石の文学の普遍性が